銀河団ガス統計的性質/形状と宇宙論的応用
現在、最も一般的な宇宙の構造形成理論に基づくシナリオは、暗黒物質とバリオンからなる密度場の初期の小さな揺らぎが自己重力により成長し、銀河、銀河団、大規模構造といった諸階層が形成されていくというものである。とりわけ銀河団は銀河分布、X線や電波よる銀河団ガス、重力レンズによる重力場と多波長による内部の様々な階層の観測が行われていて、宇宙論的な応用が数多くなされている。銀河団観測と宇宙論を結びつけるためには、銀河団内部の物理状態(密度、温度など)のモデル化が必要であり、銀河団ガスの密度分布、温度分布として多くの有効なモデルが提示されてきた。しかしこれらのモデルは動径分布であり、内部の揺らぎはその意味で平均化されてしまっている。我々は宇宙流体シミュレーションを用いて、銀河団ガスの密度、温度揺らぎをあらわす確率密度関数として対数正規分布でよく近似できることを発見した。そして、これを以下の二つの問題に応用した。
銀河団ガス(シミュレーション)内の温度ゆらぎ、密度ゆらぎ
銀河団の温度推定誤差問題
銀河団は暗黒物質が約9割を占める自己重力系であり、ほぼビリアル平衡に達しているため、全体の質量が内部のバリオンの温度と結び付いている。この質量温度関係と銀河団の質量分布から宇宙の物質揺らぎの値が求まるため、この「温度」は宇宙論的に重要な量である。観測的に「温度」を求めるためには、暗黒物質の重力により閉じ込められた高温電離プラズマ(銀河団ガス)によるX線放射を用いる。放射が主に熱制動放射であるためにスペクトルから温度を求めることができる(スペクトル温度)。一方、理論、シミュレーション側ではスペクトル温度の代用として放射率重み温度が、長い間利用されてきた。しかし近年の研究で両者は一致せず、2-3割程度スペクトル温度の方が低いことが分かってきた(Mazzotta et al.2004 MNRAS,354,10)。この温度推定のバイアスは銀河団を用いた宇宙論パラメタ(宇宙の物質の揺らぎや後述のハッブル定数)の推定に直接影響する。我々は動径分布のみならず、局所的な温度揺らぎがこのバイアスの大きな原因となっていることを発見し、対数正規分布を用い、推定バイアスを動径分布と温度揺らぎで表す解析モデルを構築した。 (kawahara et al. 2007)
スニャーエフゼルドビッチ効果を用いたハッブル定数推定の不一致問題
さらに銀河団を用いた宇宙論の重要な観測として、宇宙背景放射(CMB)の銀河団ガスによる逆コンプトン散乱から起こるスペクトル変形、スニャーエフゼルドビッチ効果(SZ効果)を用いたハッブル定数の推定が挙げられる。SZ効果とX線輝度から銀河団の縦方向のスケール、X線イメージより横のひろがりを角度で知ることで、ハッブル定数推定ができる(Silk & White1978,ApJ,226,L103)。この方法は非常に明快であるのにも関わらず、他の方法(セファイド変光星、CMB非等方性)による推定より系統的に1-2割程度、低い値を与えるとされている(Carlstrom et al.2002,ARA&A,40,643)。我々はこの方法の系統誤差を、温度、密度の揺らぎのモデルを用い、上記の温度推定バイアスを考慮して探った。温度推定バイアスを考慮にいれ、宇宙流体シミュレーションからハッブル定数の系統誤差を求めると、観測から示唆されるのと同程度の1-2割程度の過小評価を引き起こすことを発見した。そして、系統誤差を引き起こす原因を、対数正規分布モデルを用い、1.密度揺らぎの効果、2.温度推定バイアスの効果、3.温度動径分布の効果に分離した解析モデルを立てた (kawahara et al. 2008a)
二次元X線輝度分布から三次元ガス密度分布の情報を引き出す
揺らぎの対数正規分布モデルは、宇宙流体シミュレーションの結果を基にしたものであったので、我々は直接、観測からこのモデルが正しいのか、また、揺らぎに関してどのような制限が付けられるか考えた。X線輝度分布は主に密度に支配されているので、これを利用して密度に対しての対数正規分布モデルを直接観測から検証することを試みた。この際、ネックになるのが観測量(この場合X線輝度分布)は二次元投影量であることである。そこで、シミュレーションを用いて、様々なパワースペクトルの時に対数正規分布したがうランダム場を作成し、X線輝度分布がどうなるか調べた。その結果、この場合、X線輝度の動径分布からのズレ、X線輝度揺らぎも対数正規分布に従うことを見いだした。また、揺らぎの大きさ自体は三次元のパワースペクトル(観測できない量)に強く依存するが、輝度揺らぎのパワースペクトル(観測量)と三次元パワースペクトルの関係を用いて、制限できることを見いだした。そして実際にChandra衛星で長時間観測された銀河団A3667を用いて、解析したところ、X線輝度ゆらぎがきれいに対数正規分布に従うことを発見した。これは、(密度の) 対数正規分布モデルを示唆する結果である。さらに輝度揺らぎのパワースペクトルをもちいることで、三次元の密度揺らぎを推定することができる。 (Kawahara et al. 2008b)
X線輝度による銀河団ガスの形状測定と背後にある暗黒物質ハローの形状
銀河団の形状は銀河団の力学進化を考える上で重要である。XMM-Newtonによる60個ほどのデータ解析を行い、X線輝度分布を通して銀河団の投影軸比分布関数を測定した。この測定値は、N体シミュレーションから得られている暗黒物質の軸比分布に静水圧平衡等の単純な仮定を課したモデルで説明できる。